エルンスト・ユンガー『鋼鉄のあらし』第1章(一)
2017年4月27日 In Stahlgewittern 列車はバザンクールに止まった。シャンパーニュの小さな町である。我々はそこで下車した。我々は,圧延機のようなゆっくりとした前線の規則的な音を聞いていた。それは,長い年月の中で我々が馴染むことになるメロディーであった。遠くの方では,榴散弾の白い弾子が12月の灰色の空に溶けていた。戦争の吐息はそこかしこに吹き荒れ,不思議と身震いがこみあげてきた。我々は認識したのだろうか,遅かれ早かれ,低い唸り声がとめどない雷鳴となって我々の頭上で炸裂するような日々に自らが飲み込まれることになる,ということを。
我々は,教室や長椅子,作業机を残して去り,短い教育期間の中で一つの大きな,情熱的な一団になった。70年にわたるドイツの理想の担い手として。物質主義的な精神の中に生れた我々の中には皆,未知や大いなる冒険への憧憬が紡がれていた。こうして戦争は陶酔のように我々を包み込んだのであった。花吹雪の中に,ぼんやりとした臨死体験の中に我々は引きずり込まれた。戦争は確かに我々に,巨大で強く厳粛なものをもたらしたに違いなかった。戦争は,確かに我々に大いなるものを,強いものを,厳粛なるものを与えてくれたに違いない。それは我々にとっては人間らしい営為,つまり花盛りの,血濡れた草原の上で繰り広げられる素晴らしい決闘のように思われた。これ以上の美しい死は地上にはない…ああ,家に留まっていてはいけない,参加せねば!
「小隊ごとに整列!」燃え上がった幻想は,シャンパーニュの重々しく粘ついた大地を行進しているうちに静まった。背嚢と弾薬,小銃はまるで鉛のように重くのしかかった。「ベルトを短く掛けろ。荷物を背中で支えるんだ!」
幻に見る己の翼に、真実の翼が出来て出合うと云うことは容易ではない。
(1)
最終的に,我々は第73軽歩兵連隊(2)の宿営地であり,煉瓦や石灰岩で造られた50ほどの家々が園地のついた城館を取り囲んでいるような,この地域ではありふれた小村,オランヴィル村に辿り着いた。村の雑然としたあり方は,文明に慣れた我々の目に新奇な印象を与えた。そこにはわずかの,ぼろをまとった物静かな住民がおり,兵士たちはどこでも,風雨にさらされてくたびれたり破れたりしたチュニックをまとっており,顔には長いひげを生やし,ゆっくりとあちこちを歩き回るか,小さな一団をなして家の戸口に立ち,冗談を飛ばしながら我々新入りを迎えていた。そこには,豆のスープの香り漂う炊事場があり,ガタガタ食器の音を立てながら食事を待っている兵士たちに囲まれていた。ヴァレンシュタイン(3)的なロマンティシズムが,この村での最初の出来事を通じて,否が応でも高まったのだった。
(1)ゲーテ『ファウスト』第1部1090-1091行より。原文は以下。ユンガーは原文の"leicht"の部分を"bald"としている。
Ach! zu des Geistes Flügeln wird so leicht
Kein körperlicher Flügel sich gesellen.
(2)正式名称は Füsilier-Regiment Feldmarschall Prinz Albrecht von Preußen Nr.73(第73軽歩兵連隊"陸軍元帥アルブレヒト・フォン・プロイセン王子")。1803年に設立された歴史ある歩兵連隊で,1871年以降はハノーファーに駐屯していた。別名は,ハノーファー駐屯の第10軍団司令官であったアルブレヒト・フォン・プロイセン陸軍元帥にちなみ,1889年に付けられた。第一次世界大戦が勃発した時点で第73軽騎兵連隊は,ハノーファー駐屯の第19師団隷下にあった。
(3)三十年戦争(1618~1648年)期に神聖ローマ皇帝軍を率いていた傭兵隊長,アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインのこと。傭兵隊長の代名詞であった。
我々は,教室や長椅子,作業机を残して去り,短い教育期間の中で一つの大きな,情熱的な一団になった。70年にわたるドイツの理想の担い手として。物質主義的な精神の中に生れた我々の中には皆,未知や大いなる冒険への憧憬が紡がれていた。こうして戦争は陶酔のように我々を包み込んだのであった。花吹雪の中に,ぼんやりとした臨死体験の中に我々は引きずり込まれた。戦争は確かに我々に,巨大で強く厳粛なものをもたらしたに違いなかった。戦争は,確かに我々に大いなるものを,強いものを,厳粛なるものを与えてくれたに違いない。それは我々にとっては人間らしい営為,つまり花盛りの,血濡れた草原の上で繰り広げられる素晴らしい決闘のように思われた。これ以上の美しい死は地上にはない…ああ,家に留まっていてはいけない,参加せねば!
「小隊ごとに整列!」燃え上がった幻想は,シャンパーニュの重々しく粘ついた大地を行進しているうちに静まった。背嚢と弾薬,小銃はまるで鉛のように重くのしかかった。「ベルトを短く掛けろ。荷物を背中で支えるんだ!」
幻に見る己の翼に、真実の翼が出来て出合うと云うことは容易ではない。
(1)
最終的に,我々は第73軽歩兵連隊(2)の宿営地であり,煉瓦や石灰岩で造られた50ほどの家々が園地のついた城館を取り囲んでいるような,この地域ではありふれた小村,オランヴィル村に辿り着いた。村の雑然としたあり方は,文明に慣れた我々の目に新奇な印象を与えた。そこにはわずかの,ぼろをまとった物静かな住民がおり,兵士たちはどこでも,風雨にさらされてくたびれたり破れたりしたチュニックをまとっており,顔には長いひげを生やし,ゆっくりとあちこちを歩き回るか,小さな一団をなして家の戸口に立ち,冗談を飛ばしながら我々新入りを迎えていた。そこには,豆のスープの香り漂う炊事場があり,ガタガタ食器の音を立てながら食事を待っている兵士たちに囲まれていた。ヴァレンシュタイン(3)的なロマンティシズムが,この村での最初の出来事を通じて,否が応でも高まったのだった。
(1)ゲーテ『ファウスト』第1部1090-1091行より。原文は以下。ユンガーは原文の"leicht"の部分を"bald"としている。
Ach! zu des Geistes Flügeln wird so leicht
Kein körperlicher Flügel sich gesellen.
(2)正式名称は Füsilier-Regiment Feldmarschall Prinz Albrecht von Preußen Nr.73(第73軽歩兵連隊"陸軍元帥アルブレヒト・フォン・プロイセン王子")。1803年に設立された歴史ある歩兵連隊で,1871年以降はハノーファーに駐屯していた。別名は,ハノーファー駐屯の第10軍団司令官であったアルブレヒト・フォン・プロイセン陸軍元帥にちなみ,1889年に付けられた。第一次世界大戦が勃発した時点で第73軽騎兵連隊は,ハノーファー駐屯の第19師団隷下にあった。
(3)三十年戦争(1618~1648年)期に神聖ローマ皇帝軍を率いていた傭兵隊長,アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインのこと。傭兵隊長の代名詞であった。
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