列車はバザンクールに止まった。シャンパーニュの小さな町である。我々はそこで下車した。我々は,圧延機のようなゆっくりとした前線の規則的な音を聞いていた。それは,長い年月の中で我々が馴染むことになるメロディーであった。遠くの方では,榴散弾の白い弾子が12月の灰色の空に溶けていた。戦争の吐息はそこかしこに吹き荒れ,不思議と身震いがこみあげてきた。我々は認識したのだろうか,遅かれ早かれ,低い唸り声がとめどない雷鳴となって我々の頭上で炸裂するような日々に自らが飲み込まれることになる,ということを。
 我々は,教室や長椅子,作業机を残して去り,短い教育期間の中で一つの大きな,情熱的な一団になった。70年にわたるドイツの理想の担い手として。物質主義的な精神の中に生れた我々の中には皆,未知や大いなる冒険への憧憬が紡がれていた。こうして戦争は陶酔のように我々を包み込んだのであった。花吹雪の中に,ぼんやりとした臨死体験の中に我々は引きずり込まれた。戦争は確かに我々に,巨大で強く厳粛なものをもたらしたに違いなかった。戦争は,確かに我々に大いなるものを,強いものを,厳粛なるものを与えてくれたに違いない。それは我々にとっては人間らしい営為,つまり花盛りの,血濡れた草原の上で繰り広げられる素晴らしい決闘のように思われた。これ以上の美しい死は地上にはない…ああ,家に留まっていてはいけない,参加せねば!
 「小隊ごとに整列!」燃え上がった幻想は,シャンパーニュの重々しく粘ついた大地を行進しているうちに静まった。背嚢と弾薬,小銃はまるで鉛のように重くのしかかった。「ベルトを短く掛けろ。荷物を背中で支えるんだ!」

 幻に見る己の翼に、真実の翼が出来て出合うと云うことは容易ではない。
(1)


 最終的に,我々は第73軽歩兵連隊(2)の宿営地であり,煉瓦や石灰岩で造られた50ほどの家々が園地のついた城館を取り囲んでいるような,この地域ではありふれた小村,オランヴィル村に辿り着いた。村の雑然としたあり方は,文明に慣れた我々の目に新奇な印象を与えた。そこにはわずかの,ぼろをまとった物静かな住民がおり,兵士たちはどこでも,風雨にさらされてくたびれたり破れたりしたチュニックをまとっており,顔には長いひげを生やし,ゆっくりとあちこちを歩き回るか,小さな一団をなして家の戸口に立ち,冗談を飛ばしながら我々新入りを迎えていた。そこには,豆のスープの香り漂う炊事場があり,ガタガタ食器の音を立てながら食事を待っている兵士たちに囲まれていた。ヴァレンシュタイン(3)的なロマンティシズムが,この村での最初の出来事を通じて,否が応でも高まったのだった。









(1)ゲーテ『ファウスト』第1部1090-1091行より。原文は以下。ユンガーは原文の"leicht"の部分を"bald"としている。
  Ach! zu des Geistes Flügeln wird so leicht
Kein körperlicher Flügel sich gesellen.

(2)正式名称は Füsilier-Regiment Feldmarschall Prinz Albrecht von Preußen Nr.73(第73軽歩兵連隊"陸軍元帥アルブレヒト・フォン・プロイセン王子")。1803年に設立された歴史ある歩兵連隊で,1871年以降はハノーファーに駐屯していた。別名は,ハノーファー駐屯の第10軍団司令官であったアルブレヒト・フォン・プロイセン陸軍元帥にちなみ,1889年に付けられた。第一次世界大戦が勃発した時点で第73軽騎兵連隊は,ハノーファー駐屯の第19師団隷下にあった。

(3)三十年戦争(1618~1648年)期に神聖ローマ皇帝軍を率いていた傭兵隊長,アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインのこと。傭兵隊長の代名詞であった。
 イーリオンの城壁の内にも外にも過ちは起こる(1)。そうした書物が如何にありのままを書いているかという度合いが,その書物に内在する価値の尺度なのである。戦争は,あらゆる人間の行為のように,善と悪から構成されている。しかしながら,これまでになく著しい対立が,民族の力が最高潮に達する領域へと足を踏み入れているのである。限りなく暗い深淵が,最高の価値のすぐそばで口を開けているのである。一人の人間が半ば神懸ったような完成の域に達するようなところでは,死ぬまで理想に殉ずるような自己犠牲的献身は次から次に現れた。ほとんど冷え固まってもいない溶岩に,盛んに穴を穿とうとした者たちが。多くの言葉を尽くした興奮は,危機の一瞬には脆くも崩れ去ってしまう。岩のような意志を持つように見える者も,「真実の地平の上」では,決定的な瞬間において屈服してしまう。いつもはカタカタ音を立てているその剣を抜くこともなく。またある者は,遠くで空が赤く染まり,急かし立てるような低い唸り声が窓をたたくような夜を過ごすのである。
 このことは言っておかなければならない。見栄えはしないが,真の,活発な戦士の精神を持ち,初日から最後の日まで任務を務めあげるような真の男は,暗く目立たないところから,輝かしい場所へと昇っていくのである。1914年の狂乱とは何か?大いなる疑問である!しかし,我々はこれだけのことを知ったのだ。灰色の衣服の下に黄金の心と鋼鉄の意志が隠されていることを,最も有能な者たちが選抜されたことを,自らの腕の中に死を投げ込んだことを。―常に変わらない鷹揚さとともに。彼らがその哀れな,血と泥にまみれた顔で,深い穴の中で敵の不意を突こうとしていたような大地に斃れていようと,限りなく広い大平原の土の中で,孤独な,十字架無き永遠の眠りに身を沈めていようと,それは私にとっての福音なのである。彼らは無駄に死んだのではないのだ。たとえ仮に,彼らが夢想したもの以上に他の何かの目的がより大いなるものであったとしても,戦争はあらゆるものの父である。戦友たちよ,あなた方の功績は計り知れないほど大きく,あなた方の記憶は深く刻まれている。あなた方とともに生き,燃えるような絆で結ばれている「兄弟」たちの心に。我々はあなた方の傷に白い繃帯を巻いたのではなかったのか,永遠の帷が下りたようなあなた方の傷ついた眼を見たのではなかったのか。
 彼らが経験したことに関して,本書が何らかの認識を与えるということを私は望む。我々はかなりの部分,ややもすれば全ての名誉を失ってしまった。しかし,ただ一つ我々に残っているのは,彼ら戦友とかの栄光に満ちた軍隊,さらに我々が帯びていた武器の数々や我々が戦ったあの激しい戦闘に対する敬意に満ちた追憶である。それらは,もはや小銃や手榴弾だけでなく,生き生きとした心でさえ,ドイツの誇りのために戦おうとしない人々が,道徳の退廃や背信を至上の務めとしているような惰弱な時代には覆い隠されてしまうのである。



(1)“Iliacos muros peccatur intra et extra.” (Hor. Epist. 1.1.16)
イーリオンはホメロスの叙事詩『イーリアス』に登場する都市トロイアの
別名・雅称。

 時に,彼らは戻ってきては,街のアスファルトの上に夢見心地でたたずみ,よく見知った道の中で渦を巻きながら流転しているような生を,信じられないかのように観ていた。そして,短い日々の中で何もしていない時が片時もなく,酒を飲んでいるか何かをしているような日々に身を投じたのである。彼らは,乱痴気騒ぎの夜に,無謀なものとなったその生き方とともに,杯を揺らしたのである。彼らにとっての世界が意識の奥に没してしまうまで。そこで彼らは,死んだ戦友たちを心の中にとどめ,次の日に訪れるであろう災厄だけを気にかけていた。そして,彼らは再び,見知ったどよめきの巷へと駆け出したのであった。
 これが,戦争中のドイツ軍歩兵であった。彼らが何のために戦っていようと,その戦いは人間業を超えたものであった。その若者たちは,その民族を超越したのだ。彼らは,苦笑いを浮かべながら,「英雄」とか,「英雄的な死」といった使い古された言葉で書かれた,取るに足りない新聞の無駄話を読んでいた。彼らは感謝を求めたわけではない。彼らは共感が欲しかったのである。彼らにはいくら感謝しても足りることはない。聳え立つアルプスの頂に,重厚な鉄兜を身につけた像が刻まれている。その顔は静かに,じっと大地を見つめている。果てしない大海に注ぐ眼下のライン河を。そんな日がいつの日か来るであろう。

 大戦中,一兵士,そして部隊長として一人の兵士がとある有名な連隊の中で何を経験し,何を考えたのか,ということを読者にありのままに伝えることが本書の目的である。本書は,私の戦争中の手記をまとめたものである。私は自らの感じたことをできるだけありのままに紙に書き起こすことに苦労した。というのも,いかに記憶がすぐに消えてしまい,わずかな間にもはや当時とは別の印象を帯びてしまっているのかということに気付いたからである。前線での任務に向かう途中の休憩時間に,蝋燭の消え入りそうな光の下で,細長い坑道の階段の上やテントを張った砲弾孔の中,もしくは湿った廃墟の地下室の中で,山のようなノートを埋めていく作業は熱意を要した。しかし,このことは役に立った。私はこれによって,記憶の新鮮さを保ちづづけたからである。人間は,行いを理想化し,都合の悪いことや小さな出来事,取るに足らない出来事を隠し去ってしまいがちなのである。気づかぬうちに自らを「英雄」としてしまうのである。
 私は従軍記者ではないし,英雄伝を書くというわけでもない。私は,「いかにあるべきだったか」ということを書くつもりはなく,「いかにあったか」ということを書くつもりである。

今日からドイツ語の勉強も兼ねてエルンスト・ユンガー『鋼鉄のあらし(In Stahlgewittern)』(1922, Berlin)の翻訳を不定期に掲載していきたいと思います。主に自分が三日坊主にならないために書いていますので,このブログの訪問者の方々に見せることを特に想定したものではありません。MtGに関しての記事はまた機会があれば書きたいと思います。

エルンスト・ユンガー『鋼鉄のあらし』(1922年,ベルリン)

前書き(前半)

 いまや,途方もないものの影が我々の上にかかっている。戦争の激しさはいまや,我々にとってあまりにも身近なものであるので,我々はその全貌を見渡すことができない。ましてやその精神を可視的なものへと結晶化することはできない。それでも,人は現象の洪水,つまり物質の卓越した意味から常に,はっきりと,立ち上がることができる。戦争は消耗戦の極致へと達した。機械,鉄,爆薬がその構成要素であった。個々の人間は資源として見なされた。部隊は前線の火点 で何度も繰り返し,燃えがらになるまで焼き尽くされては撤退し,定められた回復プログラムを受けさせられる。「師団は大戦闘へ向かう準備ができている」とばかりに。
 戦争のかたちは無味乾燥で,その色調は灰色と赤である。戦場は狂気の荒野であり,そこでは,太陽の下で惨めに人は生きながらえるのである。夜には,疲れ切った縦隊が粉々になった街道の上を,焼け焦げた地平線へ向けて進んだ。廃墟と十字架が道の両側を埋めていた。歌は聞こえてこず,ただ小銃やスコップを留めるベルトの歯ぎしりのような音を交えた低く消え入るような命令の言葉と悪態だけが聞こえてくる。ぼんやりした影が踏み荒らされた村々のあたりから果てしない塹壕の方へと延びていた。
 かつてのように,軍楽隊が中隊を戦闘に導くような響きを奏でることはなかった。そのようなことは嘲笑の対象であったであろう。かつてのように,砲煙の中に軍旗が,砲弾で掘り返されたような陣地の上にはためくこともなかったし,朝焼けの太陽が,華々しい馬術競技や,騎士道精神溢れる剣閃や死を照らすこともなかった。月桂樹の葉が賞賛すべき者に冠されることも稀であった。
 しかし,それでもこの戦争にもやはり,人間とロマンティシズムはあったのである!その言葉が陳腐なものになっていないのであれば,英雄が。見知らぬ,頑固な仲間たちを,彼を嫌っていようと,衆目の前でその勇気に心酔させるような蛮勇の持ち主が。彼らは,死が深紅の騎士のように,その炎の蹄で揺蕩う霧の中を駆け回ってもなお,戦闘の嵐の中に独り,立ち続けた。彼らの地平線は砲弾痕のふちであり,彼らの支えは義務感であり,名誉と自らの価値観であった。彼らは恐怖に打ち勝った者たちであった。あらゆる恐ろしいものが最後の極点へと積み重なり,世界が血のように赤いヴェールで彼らを覆った後にも,敵をその目に捉えるために,(任務からの)解放が彼らにもたらされることはほとんどなかった。そのようにして,彼らはより容赦のない大いなる存在,機敏なる塹壕の虎や爆薬の専門家へと昇華するのである。そのようにして,彼らの内的衝動は洗練された破壊の手段とともに燃え滾るのであった。
 しかし,戦争の挽き臼は黙々と回るとしても,彼らは賞賛に値した。彼らは日々をカビの生えたこの世界の内的器官の中で,水滴を落とし続ける永遠の時計仕掛けによって苦しみを味わわされながら過ごしたのである。太陽が廃墟の作り出すぎざぎざの影の後ろに沈んだとき,彼らは暗い穴倉の瘴気から解放され,再び穴掘り仕事に従事するか,毎夜ごとに塹壕の土塁の後ろに鉄柱を打ちこみ,甲高い音を立てる曳光弾が冷たい銀色になるのを見ていた。もしくは,かちかちと音を立てる針金の上を,誰もいない無人の荒野へと忍び歩きしていた。時には突然の閃光が暗闇を破り,銃弾が飛び交い,不審なものへ誰何の叫びが飛んだ。彼らはこのようにして戦い,働き,粗末な食事をし,粗末な衣服を身にまとったのだ。忍耐強く,鉄をまとった死の日雇い労働者として。
 

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